文章なんて、そうそう書けるもんじゃないです。
自分の書いている事なんてすでに誰かが書いてるし、別に文章が上手いわけでもないし、そもそも執筆のために時間なんて取れない。
しかし、筆者は現在案件が決まっていない状態で、執筆が唯一会社に具体的に貢献出来る方法となっており、そうであれば何がなんでも書かざるを得ません。
そうして色々なことを考えたり調べたりしているうちに、本当はブログを書くのに技術的卓越性や文章力はそんなに要らないと気づきました。
文章を読むという経験を、ピタゴラ装置のボールを目で追うようなものだとします。
この例えで考えれば文章術というのはきれいな経路の作り方で、それも大事ではあるものの、それだけでは話が始まりません。
しかし、そこに「なぜ」という動機があれば、その経路にボールを置くことになり、お話が転がり始めます。
同じぐらいの技術や知識だったとしても、なぜその問題を解決する必要があり、その問題に対してどのような試行錯誤があったのか?
ここがわかれば、少なくともどんな風に書き出せば良いか分からない状態からは脱出できます。
でも、だからって個人的な事情や試行錯誤の過程を全部書けば、きっと冗長すぎて読みきれないですよね。筆者を含め執筆しようとする人の多くは、ここが上手くまとまりきらずに中断してしまうのではないでしょうか。
何者でもない自分が読み物を成立させるには、Whyから始めるだけでなく、HowとWhatを無駄なく面白く要約するメソッドが必要ではないかと考えました。
Whyから始めたあとに
筆者は映画をよく見るほうなんですが、見るのはだいたい全部「主人公が面倒に巻き込まれ、苦労して問題を解決する話」です。
字面だけ見れば大して面白そうには思えないです。
それにもかかわらず、見ている間少なくとも退屈しないのは、映画のシナリオが確立されたメソッドに従って作られているからです。
筆者はこのメソッドを、技術ブログの執筆にも応用できそうだと考えました。
映画も必ず、Whyから始めて、Howのシーンがあり、Whatで終わります。
また、面白さを維持しつつ上映時間を短くして映画館の回転率を上げたい状況は、なるべく良い記事を簡潔に書いて他記事のビュー数も稼ぎたいブログによく似ていると感じました。
さっそく試してみましょう。
そうだ、シナリオを書こう
どんな話を書き始めるときも、最初は一行のあらすじから始まります。
例えば「言語学者が宇宙から来た謎の物体と意思疎通をする話」などWhatにあたる部分で、これが明らかになれば話の筋がはっきりします。
それができたら、文章術を意識しつつHowの流れを考えていきます。
まずは映画全体を30分ごとに四分割します。
分割されたパートには、多くの場合以下のような内容が割り当てられます。
- 起 主人公が問題に遭遇
- 承 問題を解決、本質的問題を知る
- 転 仲間と本質的な問題に取り組む
- 結 本質的な問題を解決し大団円
とするのが王道です。
お気づきだと思いますが、この記事自体がメソッドに従っていて
- 起 記事を書き出せない問題を提示
- 承 動機で話は動くがまとまらない
- 転 全体構成に洋画の方法論適用
- 結 記事完成、知見と感想
の順番で書かれています。
この記事を上から読み直すと、やや再帰的な遊びは加えているものの、メソッドを具体的にどう記事作成にあてはめていくかの感覚は把握できるかと思います。
これを意識して何を書くかを考えれば、例えばエンジニアであれば「恋人の誕生日に徹夜になったので再発防止のため自動化を推進した話」(仲直りした後日談つき)とか 「腹が減ったので東京で一番うまいラーメン屋でスタバなうする」三部作(スクレイピング編/データ分析編/API連携編)とか、企画だけならいくらでも作れそうですね。
筆者は技術そのものにこだわったストイックな記事も尊敬していますが、記事を量産する場合であれば、企画をたくさん作って実現が簡単そうなものから順番に取り組むのが楽なのではないかな、と思い始めています。
最後に
生活でも仕事でも、何かの問題がなかなか解決できない場合、一歩引いて問題を構造で捉えるべきなんですが、筆者はついそれを忘れてしまいます。
今回の執筆経験は、それを思い出させてくれました。
執筆の影響かは定かでないですが、現在は営業チームの献身的な努力のおかげで、技術力に加えて文章力やコミュニケーション力がいる案件への参画が決まりそうになっています。
今後改めて構造化の視点を念頭に置き、些細なインプットで大きなアウトプットを達成できるようなシステムを自分の中に構築して、業務全体に役立てていこうと思います。
(追記:参画決定しました、ありがとうございます)